お昼過ぎに薄ーくハロが見えました。
今日はダンナと久しぶりに
プラプラ買い物へ。
いつも飲んでいるカカオの紅茶が
切れたので買いに行ったり。
二至二分キャンドル用の
キャンドルを追加で発注したり。
(来週火曜日辺りに告知予定です
ご希望の方はメッセンジャーかメールにてご連絡ください)
さて、話しは変わり。
鏡リュウジさんの
サターンリターンの話しを貼ります。
【星占い基礎知識】
サイクルの哲学~星めぐるとき、
人は運命を転ずる
https://lineblog.me/kagami/archives/1062427218.html
サターンリターンとは
30歳辺りで起きる
人生の第一試練のような説が強いですが。
私はハーフリターンの14〜15歳が
最初の試練というか
人生に向き合う時期な気もします。
昔なら元服を迎えた時期に重なりますよね。
私はこの辺りで人生の基礎になる
好きや嫌いや興味を持った事が
人生のベースになっている気がします。
とはいえ。
30歳辺りのサターンリターン
通称サタリタの威力があるのは
自分の体験では実感しています。
私が29歳のある朝のこと。
突然ダンナが原因不明の病気で
起き上がれなくなり
そこから父が癌で倒れ
祖母が叔父から虐待を受けて裸足で
逃げて来たのを境に
働きながら子育てしながらの
トリプル介護生活に突入し
キチガイじみた叔父や叔母夫婦と
骨肉の親族バトルに突入するとは
全く考えていませんでした。
32歳で祖母
33歳で父を見送った時には
介護や親族バトルや
ダンナの難病について
義実家とのやりとりで疲れ果て
縁を切った友人達とのウザいやり取りに
マックス希死念慮が酷かった時期でした。
私は友人運と同じくらい
家族運に恵まれることが
壊滅的に無いです。
占術で知る前から
揉め事が異様に多い両親や親族がいた為、
長男弟(奥さん含む)や姪や甥とも
生き死にが関わる以外は
可能な限り関わりません。
義姉とは気も話しも合いますが
次に会うのはいつだろうか?
少なくともコロナが収まるまで
会わないでしょうね。
居なくなっても少し寂しいかな?と考えますが
日常生活に存在しようがしまいが
全く困らないしね。
こう考えるから
冷たいとよく言われるのだが。
嘘ついても意味ないからねぇ。
失って堪えるのはみったんだけかな。
ダンナは
何度も死にそうになっているから
いなくなる事は20年前から諦めてます。
ま、私が先に死ぬけどな!
私は色々な占術で見ると
子どもとの縁も薄いです。
さて詳細は省きますが。
娘に大説教をした昨日。
それを聴いていたダンナが
具合が悪くなるという。
相互中殺ありだとしても
おいおい影響受け過ぎだろ。
ダンナ曰く
「戸愚呂120%を受けたら死ぬっつーの。
死者に鞭打つどころか
粉々にするのが戸愚呂120%だから。」
うーむ。
戸愚呂みたいに
あんな感じで死ねたら良いなとは
考えていますが。
あんなに強くはなれてないから
なれないだろうなー。
話しは戻り。
娘は30歳になります。
サタリタど真ん中です。
サタリタらしい渾沌に佇んでいますよ。
サタリタは自分が撒いた種が
花開き実がなり回収しなければらない時期です。
回収しなければ
45歳か60歳で必ず回収せざるを得なくなります。
75歳や90歳の回収をやる人もいるでしょうが。
それは負債が大きい分
シンドイでしょうね。
負債が何かは人それぞれです。
人間は自然の理の一部ですから
罰が当たるとかでなく
自然のサイクルのようにやるしかないだけ。
回収したサタリタの体験を
活かすも殺すも自分次第。
他者にはどうも出来ない領域。
鏡リュウジさんの文章から
一部抜粋しますが。
『これを「サターンリターン」と呼び、
現代の占星術では本当の意味での
成人式のようなものだと考えています。
論語でいう「三十にして立つ」ではありませんが、
29歳前後、サターンリターン(土星回帰)の頃には
大なり小なり人はある種、
現実の壁に向き合い、
大人の階段を上ることに。
焦ったり迷ったりもあるけど、
ここで基盤を作れると、
それから大きく
活躍することもできるという」
30にして立つかどうかで
次の40代前半に来る土星と天王星のコンボを上手く活かせるかどうかな気がします。
私は30歳辺りのサタリタで
盛大に厄落としをやったせいか
40代前半の土星、天王星のコンボは
シンドイなりにプラスに展開出来たかな。
ただ、家族運としては別な話し。
私なりに出来る努力は全てやりましたが
全ては覆せない事は親族骨肉バトルで
痛感しております。
娘にとって
私の存在はプラスにならないです。
これは妄想でも
悲観でも悲嘆でなく事実なだけです。
ものすごく頼りになろうが
私の親のようなクズだろうが
どちらにしても私は彼女には毒です。
ま、親は多かれ少なかれ
全ての人が毒ですけどね。
私が40歳辺りで死んでいることが
お互いの為だったな。と思います。
娘は親離れをしなければならない
星を持っていますしね。
薄いですが私にも同じ星はあります。
ということは子離れも必須。
子育ては娘以外も取り組みましたが
私は子ども達が大人になった時に
困らないサポートをすることだけを
意識していたのでそれ以外はどうでも良いかな。
好かれたいとか考えたことがない。
歳をとってから
子どもに面倒を見て欲しいなんて
トリプル介護をやった私は
微塵も思いませんよ。
速攻で死ぬわ。
私の場合は親に縁がない星が強いです。
自然や婆さんが親代わりだしな。
そんな人間もいるという
サンプルでご覧ください。
私自身は家族運が無くても
友人運が無くても
特にどうも思っていません。
正直、どうでもいいかな。
私自身は人を大事にしたが
結果や成果にならなかっただけ。
食べて行くのに大事な
仕事で結果や成果を出せれば
特に困らないです。
仕事して食べられるよう稼いで
何かあったら助けられる体制は
少しですが作ったし
自然と共に在り
本やアニメを楽しみ
子ども達や動物達にサポートや
寄付が出来れば特にやりたいこともないです。
人生全てが
ハッピーエンドを夢見る人が
この世界は多いですが。
そんなものは存在しませんよ。
在るモノでやり繰りする世界は
必ずあるのだから。
腹黒で性格が悪い私が考え得る
策は全て手を打っているので
後は天に任して
結果を享受する以外やることはないです。
全力でどれほど頑張ろうが努力しようが
全てが無駄になる不条理な世界が
この世界です。
生きるというのは
それらを理解して
やるかやらないかなだけかな。
正解も不正解もない世界を
自分がどう納得出来るかどうかを
「人生」と呼ぶのでは無いでしょうか。
生まれた時から
人生ハードモードな私からすると
イージーモードをわざわざハードにしている人が大半だなと感じます。
他者と比べ過ぎる人ほど
劣等感を強化し
イージーモードをハードモードにして
苦しんでいるように感じます。
私は他者はどうでもいいんですよね。
だって、
どうもしようが無いから。
自分以外は動かしようがない。
対価や代償を払ったり
洗脳して支配するやり方はありますが
私は人形遊びをする気はないですから。
やりたいように生きればいいんですよ。
自分の人生は
自分で責任を取れば良いだけ。
責任が取れるって幸せだと思います。
50歳を迎えて
更にそう思います。
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