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私の考えや生い立ちとか

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珍しく長文です。
忍耐力のある方のみどうぞ。


後ほどパートナーシップ講座のレポをまとめるので、
こちらのアルテイシアさんの記事もご紹介する為にシェア。


【モルヒネを打つのを止めてみよう-モラハラと愛のあいだ02】
https://telling.asahi.com/article/11758227


恋愛で悩みやすい方は、
アルテイシアさんの記事お薦めですよ。

わかりやすい文章ですから、
サラっと読みやすいです。
(人によっては吐血するような感覚があるかもだけど)



私は父親と叔父が稀にみるクズやサイコパスで、
パワハラ、モラハラもあるのですべてを反面教師にしてました。



なので恋愛に関して私を大事にしない言動や行動をする人に、
奴隷のような我慢強さや忍耐強さが皆無でしたね。


人を愛することのない人を見続けたおかげですね。


なので、
クズと分かって一緒に暮らし続ける損失はさっぱりわからず。


クズと知らずに付き合ったとして、
気がついたら全力で切れば良いだけです。




「結婚が早かったから恋愛経験少ないでしょ。

結婚した人がたまたま最初から良い人に当たったから失敗がないんじゃない?」

とよく言われましたが。



自分は恋愛経験が豊富だ。と『自慢』する人間ほど、

人を見る目がなく、

人を利用するだけで、
人と優しい信頼関係が作れない頭の悪い人だと思ってます。




恋愛なんて中学からやるし
早ければ小学生くらいからスタートします。



10代の恋愛を子どものままごとと嘲笑う人ほど、
人を愛することを軽くぞんざいに扱ってますよ。


どの立ち位置でもその時は真剣だったりしませんか?


自分の恋愛が泥沼だった人は行為や事象が苦しみばかりだったとしても
最初に好きになったことはただ好きだっただけでしょ。

お金目的とか寂しさを埋めるだけとか、
それはそもそもその人を好きでも愛してる訳でないし。


過去の自分を選択全てをぐちゃぐちゃに踏みにじるから、
過去の自分を軽んじて自分に価値がないと思うんですよ。




ダンナと付き合うまでそれなりに付き合ってましたし、
結婚してから言い寄られるのもよくあってガチキレしてましたね。



ダンナが1番好きで大事にしていると言ってるにも関わらず、
粉掛けようとする人間を私は未来永劫許さない。


今なら、確実に呪う。


彼氏がいるのに恋愛感情をぶつけられた時は、
10代から容赦なく対応してました。


嫌だとこちらが拒否することをする人間は、
ずっと嫌なことをし続けます。


99人が喜んだからと言って100人目も喜ぶ訳じゃない。

99人の人は悪いなと思い喜んでいるフリをしていたかもしれないしね。




モテている。と
ただヤリたい。を

ごっちゃにしている人間は多いです。


ヤリたくなるほど魅力的だからと言うという人がいますけど。


それほど魅力的なら
何を置いても大事にするんですよ。


ヤルことは優先順位の1位じゃない。


魅力あるあなたとどうやったら長くいられるだろう。と
未来を考えて行動しますから。


違いにお気をつけください。




毒親だったから、

親に愛されなかったから、

自己肯定感が低く、愛され方が分からない。

とよく聴きますが。


愛されなかったから分からず価値が無い。
という価値観を採用し強化するのは、
残念ですが自分です。




毒親も自己肯定感もモラハラもパワハラもサイコパスも、
一般に浸透したのはここ数年。


その概念を採用したのは、はるか昔のはずです。


たまたまぴったりハマることもありますが、
自分でわざわざ拡張しハマりに行き過ぎてませんか?


自信がないとか、嫌いな自分は在るのが当たり前。


それをゼロにしようとするからややこしい生き方になります。



仮に自信だけがあり、自分を大好きになったら解決するでしょうか?
ならないと思います。



私の生い立ちはなかなかに賑やかです。

両親、親族にお前さえいなければと言われるほど、
存在全否定でした。



簡単ですが母と父についてまとめてみますか。
今までまとめてに書いてなかったので。


宗教にドハマりの母の異様なヒステリーは、
発狂という二文字がぴったり。



無言で貞子みたいな人間に睨みつけられ、
反対に絶叫のような怒鳴り声が交互にあるのが日常。


落ち着いてニコニコしている時ほど、
次の瞬間には何をするかわからない人。


毎日刃物の上を歩くような感覚でした。



母は外面は良かったですね。
愚痴が異様に長く自分は棚上げで全部父が悪い。



父は家族に無関心で借金をしまくり欲しい物を買いまくり。

異様に外面が良い。

転職の数は履歴書に書ききれず。

老舗の和菓子屋の一人息子でしたが、
従業員に手を出し妊娠させたり、
あまりの金遣いの荒さから、
親戚筋から養女を迎え勘当されてます。


正妻がいますが、それを黙って母と一緒になり。

ある日中学生と小学生の女の子が父を訪ねて来て、
「お父さんを返して!」と来たことで、
妻帯者とわかる。

その時、母のお腹にいたのが私です。


それを話した祖母に、
その時の妊娠月数を聞いたら堕胎出来る月数でした。


私の前にも中絶してたから2人も中絶したくなくて産んだそうです。
私も中絶すれば良かったのにね。

自虐でも何でもなく今でもそう思いますよ。

要らない命は確かに在るのだから。

年間の中絶数や虐待死を見れば一目瞭然かと。


一部のスピ系の人はお花畑のような話しをしますが、
現実を直視することを私は優先しますので。



祖母に「邪魔にしかならないんだから殺せば良かったのに。」言ったら、

「育ててもらっておいて親不孝が!」と言われたけど、

「婆さんそれ本気で言ってんの?」と聴いたら目を逸らしてだんまり。



その時の私は10代半ばでしたが、
今のような思考はほぼ完成してました。

大人にものすごく嫌われるようになりましたが、
嫌いな存在から嫌われることはどうでもいいことで。



ちなみに10歳の時に弟が出来た時に母に、

「育てられもしないのにまた生むの?」と言って切れられました。


案の定、10歳下の弟を育てたのは祖母と私です。
次男を出産前から母は更におかしくなって行きましたから。


子育ては気力も体力も経済力も必須です。

身体がとても弱い、
精神がかなり弱い、
自分も相手も十分に稼げないのなら、
子どもを産んで育てることは止めることをずっと薦めて来てます。

1人でですが、
様々な事情を持つ子どもを預かったり
時に養子に迎えられないかを考えながら、
親子のサポートを24歳から40歳までやっていました。

それなりに出産の相談を受けて来て、
出産を止めてくれてありがとうと言われることも多かったです。

私はただ客観的に現状から推察出来る未来を考えただけ。

母親の感情は抜きで考えました。
子どもの未来だけしか私は考えないから。


私は母という最悪な例を見て弟を育てることを手伝っていたので、
自分が出産することを決めた時は1人で全て負う覚悟で出産しました。

主人のことは基本あてにしてなかったですね。


誤解しないで欲しいのですが。
主人は育児をしましたよ。

手伝うのでなく、しっかりと育てました。

私が働きに出るのと入れ違いで
夜勤明けで帰っても寝ないで公園に連れて行き遊ばせましたし。

家事の分担はきっちり分けてやっていましたし。

27年前は男性が公園に朝からいるのは異様だったから
色んな噂を立てられましたね。

子育ての主体に夫が関わることを面白く思わないお母さんは多かったですし、
学校行事に全て参加し手作り弁当まで作る主人がいる私は、
お母さん方からハブられましたよ。


母親が牛耳る社会のイジメや嫌がらせは、
中高の女性同士のイジメの煮詰めた感じですかね。

驚きもしないけど。

それが「人」ですよ。


脱線しましたが。

それでも、私は主人を収入でも何でもあてにせず、
いつでも1人で対応出来るよう備えていました。

離婚だけでなく、病気や死亡もありますから。


子どもが稼げる大人になるまで育てるのに理想論で育てられないんでね。




さてそんな私の小学生時代は。


ご飯も与えられず、風呂に入ることも許されず、

洗濯した服を着ることも許されない私は、

汚く臭く惨めを煮詰めたような風貌でしたから、

中学生になるまで友達はいたことがなくずっといじめられてました。



私ね、これは普通の人達の反応だと思ってます。

なのでいじめられることは諦め受け入れてました。



第二次世界大戦後の戦争孤児がどんな目に遭ったかご存知ですか。


10歳から第二次世界大戦に関することを、
とにかく知ろうと思った中で1番読み込んだのは戦災孤児の末路。

私だから特別こんな目に遭うのでなく、
誰でもこんな目に簡単に遭い、
助けてくれる人なんてどこにもいない。と知りました。


絶望は時に唯一の救いになります。

自分が自分を救おうとチェンジ出来るから。



中学生になる直前から、
母がどんなにキレようが家事を自分でするようになりました。


母は何もやらないくせして人がやると気が狂ったように怒ります。

やろうがやるまいが叫ばれるのなら、
やった方が私には得でしたから。


風呂にも入り、洗濯もご飯もお弁当作りもやり始めました。

掃除も裁縫も頑張り、何でも出来る努力を始めました。


小学生の頃は運動会の時間はお弁当がないのでトイレに隠れてました。

誰かに弁当を分けて貰ったと母が知ったら、
発狂ネタですから。


1度、運動会が終わった15時頃に母が持って来たことがありますが、
閉会式に参加もせず職員室で弁当を食べる惨めさを、
私は一生忘れません。


「ご両親は事情があっただけで、
あなた達を上手く愛情を出せないだけで本当は愛しているのよ。」

と教師から言われる戯言を、
黙って聴くしかない子ども時代は本当に地獄でした。

以後、母に運動会があることは伝えるのをやめました。



小学校は行くフリをして、
林や竹林や公園の木の上や土管の中でよく過ごしてました。


公園にいれば水が飲めるから空腹が紛れるし、
誰もいないから誰からも責められることもありませんから、
皆さんが思うより静かに幸せな時間を過ごしてました。


植物や昆虫が大好きだったのでずっと観察してましたね。

空を眺めるのが好きだったからずっと眺めてました。


今も変わらず好きで眺めます。




以上こんな環境でしたが。

私は愛されるはずがない。という刻印を自分に押しませんでした。


自分が愛せば良いし、
愛も好意も双方向で育てるものです。

与えられるだけでないし、
与えるだけでもない。


見たことがないのなら、
自分がそうなって証明すれば良いじゃん。と思い
その証明はとっくの昔に果たされています。



親という頭がおかしい人間に単に嫌われただけですし、
寧ろそんなクズに好かれたくないし。


親を神格化する傾向が社会の集合無意識にはありますが、
たかが神です。

どんな神だろうが攻略法はある。


この世界の絶対は自分です。




私が強く意識したことは愛されないことよりも、
生き抜くには弱いとバカにされ虐げられ利用される。と思ったので、

12歳から考え付く限りの強さを手に入れようと努力はしました。


やり過ぎて心身壊しましたし、
寿命が随分と縮んだようですが。

でも、自分が望むもののために壊したことや縮めたことを
自分の人生に納得しています。




私が特別強かった訳じゃないですよ。


自分以外何も持ってなかったですし、
幼いころから教育なんて全く受けてないも同然です。

16歳からひたすら働いて稼いでいたので勉強はやってません。

教養の元は図書館の本を片っ端から読んだくらい。

勉強は好きなものを独学でやっているので、
偏りが激しいです。


身体が弱く薬に頼り生きてましたし。
幼い頃からの栄養失調で脳が縮んでます。

加えて病気で脳にダメージ受けてますしね。


私の人生は最初から与えられ恵まれた時間は全く在りません。

全てが自分で工夫して創ったものです。



社会の底辺から這い上がる術は、
自分の弱さを無視せず自覚し、時間を上手く使うことです。


気合や根性はあまり持続しませんし、
恨みや憎しみの方が持続しますが、
自分を蝕むので薦めません。



社会は残酷で冷たいです。

だから自分の世界は優しく温かく創れば良いだけです。


金色のガッシュベルという漫画がありますが、
あなたの世界の王様はあなたに優しい王様になれば良いのです。


ちなみに私が好きなのはブラゴです。
私はガッシュは目指さない。


そうそう、私の精神を守り育んでくれたのは、
本と漫画とアニメです。

今も大事な相棒です。



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